I don't believe in Beatles以後

ロック史を語る時、必ずと言っていい程「ビートルズ以前・以後」という定義が持ち出されるが、日本のレコード商業に関する限り、「ビートルズ以後」という定義は決して有効ではないということにやっと気付かされた。
きっかけは、2日のエントリで持ち出した「ザ・ビートルズ日本盤ディスコグラフィ」(シンコー・ミュージック、1986年)。これを確認のため再度開くことになるまで、ネット上でビートルズのレア盤情報にはまっていて(その糸口が何であったか、改めてブラウザの履歴を振り返っても把握できなかった)、やっぱ余生を豊富に使えるマニアは凄いなと思ったのだが、そんな収集マニア道を助長するどころか、その有り方にずばっと鉄の斧を振り下ろしてくれたのが、この本だった。
A4版170ページの内、所謂読み物はたった10ページ。それ以外は、ビートルズの日本盤レコードのジャケット写真(全部カラー)とそのデータ、曲目に関する解説、そして巻末に於けるビートルズ全リリース曲の詳細なデータで占められている。その莫大な量のジャケ写が、たった10ページの鋭い文章と共に、日本のマーケティング主義のあくどさを読み手に教えてくれるのだ。
例えば、英国でリリースされた最初の2枚のアルバム、『プリーズ・プリーズ・ミー』と『ウィズ・ザ・ビートルズ』(共に'63年)の収録曲。これらは、日本デビュー・アルバムとして特別に編纂された『ビートルズ!』と、続くアルバム『ビートルズNo. 2!』(共に'64年、モノ盤のみ)に振り分けられ、これらにシングル曲等を収録したために余らされた残りの曲は、ジャケットを除いて英国オリジナル通りにリリースされた続く2枚、『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!』『ビートルズ・フォー・セール』(共に'64年、ステレオ盤のみ)に続いてリリースされた、最後の日本編集盤『ビートルズNo. 5!』('65年、モノ盤のみ)に収録され、その段階でアルバム未収録曲の類いは1曲(「アイル・ゲット・ユー」)を残して皆無となった。英国では『フォー・セール』の段階に至るまで、アルバム未収録曲が実に14曲に及んでいたにも関わらず(1曲分計算が合わないのは、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が日本盤LP2枚にまたがって収録されていたからである)。幸い、65年のシングル「涙の乗車券」以降のリリース曲は、オリジナル・アルバムに関してだけは英国のリリース状況をほぼ完璧に踏襲するようになっている(米国では翌年まで組み替え商法が続いた)。
そこまでは、日本の市場に特別に合わせたスタイルであるから、納得するしかないが、'66年に来日記念盤として、オリジナルの最初の2作が改めて『ステレオ! これがビートルズVol. 1』『同Vol. 2』としてリリースされたのだった。初めてステレオ化されたというメリットはあったが、ジャケットは然程オリジナリティが感じられないものに変えられ、曲順もサイド毎に入れ替えられるなど、ビートルズの意図した通りのリリースには程遠かった。そして、解散後の'76年、全アルバムが統一されたシリーズとして再発売された時、やっと英国と全く同じスタイルで登場と相成ったのである。それまでの間に、この2枚のアルバム収録曲は、2曲を除いて米国キャピトル・オリジナル・アルバムのシリーズの一部としても登場したし('70年)、日本独自のカップリングも含むシングルや4曲入りEPまで加えると、何度リリースされたか測り知れない程である。このような切り売りは、続く3枚のアルバム『ヘルプ!』『ラバー・ソウル』(共に'65年)『リボルバー』('66年)の収録曲に関してさえも適用されてしまったのである。幸い、韓国以外全世界統一リリースとなった最初のアルバム『サージェント・ペパーズ』('67年)以降解散までに関しては、「特別に許可された」日本独自のシングルが2枚切られるだけで済んでいるが。
CD時代に突入する遥か前からある程度の規制が効き始めていた天下のビートルズと言えども、この野放し状態じゃしょうがない。それが日本のレコード商業界だと言ってしまえばそれまでであるが、石油ショックにより崩れ去るまで続いた「レコード沢山出せば偉い」という風潮の中、真にクリエイティヴだったと言えるのは、自らレコード会社まで作ってしまい、コマーシャリズムに適度に造反しつつも(でなきゃ、ミノルフォン最初のリリースが「ベトナムの赤い月」になる筈がない)、真のクリエイティヴィティというのは何たるものかを歌謡界に堂々と掲げた遠藤実氏をはじめ、極めて少数の人達のみである。

石油ショックを経て、レコード商業界をあざ笑うように電光石火の如く闊歩したセックス・ピストルズ。彼らこそ、本当の意味でレコード業界がどうあるべきかを逆説的に教えてくれた者たちかもしれない。そんな「ピストルズ直撃世代」の日本のレコード制作者が、その精神をもって最初に産み落としたものこそ、かねてから「日本のピストルズと言える存在は、アナーキーでもブルーハーツでもなく、彼らしか考えられない」と思っていた、フリッパーズ・ギター('89年~'92年)だったのである。よって、レコード商業的見解からすれば、「ビートルズ以後」よりも「フリッパーズ以後」という定義の方が、遥かに重要である。創造性の観点からすれば、「ビートルズ以後」に遥かに及ばないものの(まだ「YMO以後」の方が相応しい)。

丁度その時期にレコード商業界中枢をみっちり経験し、ありとあらゆる泥沼を見せてもらった自分は、「フリッパーズ以前」の業界スタンダードに今更迎合しようとは一切思っていない。悪しからず。創造性のみならず、マーケティングだって時代と共に進歩していかねばならない。時代の都合に合わせるだけじゃ、面白いものを世に浸透させていくのは絶対不可能である。以上。
9日のエントリを飛ばした都合上(上記の内容であげようとしたら、丁度10日0時00分になり、諦めた)、長くなって申し訳ないのですが、9日は本年度初の音楽ライヴ参戦ということで、早くも今年3度目(!)のネクストサンデーへ。
しかし、やはりまだまともにライヴ音楽を聴けるだけの精神力が戻ってきていなかったようだ。何を聴いても素直に楽しめないのである。特に、友部正人のカヴァーとか聴かされると余計そう感じるのだ(彼に対する好き嫌いとか、そういうのとは別の次元であることをお断りしておく)。この気分は、恐らく4日後、「イマンシペイション」の境地を実行するまで続くのではないかと思う。とにかく、内輪ノリの声援とか、業界人っぽい会話とかを聞いただけでも、不愉快な気分がフラッシュバックしてくる。その場にいた全ての方々に対して、申し訳ない気分でいっぱいであり、NS帰りの金曜日にしては珍しく「タモリ倶楽部」を録画せずに見られる時刻には帰宅していた。まぁ、その前にみやこ店長にだけ、いつかは話さねばならないことを早々と話したのだけどね(その後ろで、高田渡のポスターが微笑んでいた)。

もちろん、しばしのいい気分をもたらしてくれたのは、沙世ちゃんの歌に他ならない。もし喧嘩腰の気分の時に聴いたら、余計壊れていたかもしれない「新しいこと」に、今日は救われたのだ。「初恋通り」で歌ってくれた時には大泣きしたこの曲に。あの時、自分の感情に忠実に、新しいことだけに向かって突進しようと決めた通りにしていれば、こんなことにならなかったはずなのに。「完璧を期す事」と「未練タラタラ」は、全くの別物であって当然である。
そんなわけで、今度のイベントのタイトルから、「リベンジ」という個人的感情の色が濃い言葉を取り去った。
やっぱ、この人はいい意味で聴かせ方を心得ている。こういうパフォーマーは、永遠に信じていたい。

くさっていた故に、来ていた事を知っていながら同志一名に挨拶するタイミングを掴み損ねたり、逆に近くに座っていた女性を2年以上会っていない同志だと思い込み、会話するきっかけを掴もうとがん見したり(結局、みやこ店長に確認して別人だと判明したが、声といい背丈といいあまりにも似すぎていた.....Eさんに.....)と、自分らしくない行動に走りさえしたものの、とんでもなく意外なコネクションが新しい出会いを招くという一幕もあって、やはりNSの魔法は常に効いているなと感じた。今年も一年、お世話になります。

明日はこのような感情とは恐らく無縁と思える催し物に行ってきますが、その前に暫しの間哀悼の意を表しに行く事にします。渋谷会館に。

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丸芽 志悟 (Mull-me, shigo)

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2010年Fine Vacation Company始動に向け、いよいよ助走期間に突入します。活動状況等々、このブログにて随時報告していきたいと思います。

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